キャリアというと、まっすぐ上に登っていくものだと思われがちだ。プレイヤーから始まり、リーダーになり、もっと上のマネジメントへ——。
でも、35年この仕事を続けてきて、私の歩みは一直線ではなかった。プレイヤーとリーダーのあいだを、何度も行き来してきた。手を動かす側に立ち、人を率いる側に回り、また手を動かす側に戻る。その繰り返しだった。
リーダーを「降りた」話
以前、リーダーを降りて、いち担当に戻った話を書いた。長くチームを率いる側にいた私が、慣れない領域を一から学ぶために、また現場のプレイヤーに戻った。
「降りる」という言葉には、どうしても後ろ向きな響きがある。実際、自分でも最初は戸惑った。長年やってきたマネジメントの席を離れて、また一から覚える側に回る。その居心地の悪さは、正直あった。
慣れない領域での苦戦は、価値の物差しではない
新しい領域のプレイヤーに戻ると、当然うまくいかないことが増える。即座に答えを求められる場面で、言葉に詰まる。経験の浅い分野では、ベテランのはずの自分が、若手より遅いことすらある。
そういうとき、人は「自分の価値が下がった」と感じてしまいがちだ。だが、これは何度も現場を経験してきて、はっきり言えることがある。慣れない領域でうまくいかないのは、能力が低いからではない。初めての領域と、即答が要る業務と、準備の時間のなさ——その組み合わせがしんどいだけだ。構造の問題であって、その人の値打ちの問題ではない。
そこを取り違えると、必要以上に自分を責めてしまう。苦戦している最中ほど、この区別を忘れないようにしている。
世間は「降りる」を後退と見るけれど
マネジメントからプレイヤーに戻ることを、「格下げ」のように捉える空気は、確かにある。出世の階段を一段降りた、と。
でも、私はそうは思っていない。手を動かす現場から離れすぎたリーダーは、だんだん勘が鈍る。逆に、現場に戻れば、技術の手触りや、メンバーが日々ぶつかっている壁が、また自分の肌でわかるようになる。降りることは、後退ではなく、別の場所で学び直すことだ。
行き来したからこそ、両方が分かる
プレイヤーとリーダーを行き来してきて、思うことがある。両方をやったからこそ、両方の気持ちが分かる。
リーダーの席にいると、つい「なぜこれができないのか」と思ってしまう瞬間がある。でも、自分が慣れない領域のプレイヤーに戻って苦戦すれば、できない側の心細さを思い出す。逆に、プレイヤーに徹していると視野が狭くなりがちだが、リーダーを経験していれば、チーム全体やお客様との関係まで含めて物事を見られる。
行き来は、遠回りに見えて、実は両方の解像度を上げてくれる。
強みは、移り変わっていく
もうひとつ、行き来を重ねて思うことがある。人の強みは、ずっと同じではない。
昔は強みだったこと、強みだと思っていたことが、いつのまにかそうでなくなることもある。その代わり、気づかないうちに別のところで芽が育っていて、振り返ったときには、それが次の強みになっている。新しい専門性を追いかけているあいだに、本当に人から必要とされるのは、いつのまにか自分の中で育っていた別の力だったりする。
私の場合、それは運用保守の小チームを率いてきた経験だった。属人化を解きほぐし、メンバーが育つ場をつくり、人とプロセスを動かしていく——長くやってきて、当たり前になりすぎて、自分では強みだと意識していなかったものだ。新しい武器を探すことも大事だが、移り変わっていく自分の強みに、その都度きちんと気づくこと。同じように転機にいる人に、いちばん伝えたいことかもしれない。
実はこの「強みは変わっていく」という気づきには、かつてある人からもらった、忘れられない言葉がきっかけになっている。その話は、また別の機会に書ければと思う。
降りることも、戻ることも
キャリアは、まっすぐ登るだけのものではない。プレイヤーになり、リーダーになり、また降り、そして戻る。その行き来そのものが、ひとつの呼吸のようなものだと、今は思っている。
降りることは敗北ではない。戻ることも、また当たり前のことだ。大事なのは、どの場所にいても、目の前の現場とお客様の「困り」に、自分のできることで向き合い続けることだ。それだけは、プレイヤーでもリーダーでも、変わらない。
同じような現場に立つ方の、何かのヒントになれば嬉しい。記事へのご感想やご意見があれば、お問い合わせフォームからお寄せいただけると励みになる。
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