私の本棚に、ずっと置いてある1冊がある。
『ABAPオブジェクト公式リファレンス』。SAP公認の翻訳書で、日本ユニテックの訳、日経BP社から2003年に出た本だ。1,054ページ、重さは約2キロ。当時の定価は税込22,890円という、専門書の中でも飛び抜けた価格だった。
20年以上経った今でも、日本語のABAP書籍といえばこの本の名前が挙がる。なぜこの本が、これほど長く語り継がれているのか。ABAP開発を軸に歩いてきた私の視点から、書いてみたい。
2万円超、1,054ページという「重さ」
まず、この本の物理的な存在感から話したい。
2キロという重量は、技術書としては規格外だ。鞄に入れて持ち歩くような本ではない。机の上にどっしりと構え、必要なときに引く——そういう使い方をする本だ。
価格も同じで、2万円超という金額は、当時の感覚でも「気軽に買う本」ではなかった。個人で買うには勇気がいる。それでも現場のABAP開発者たちは、この本を手元に置いた。理由はシンプルで、これに代わるものがなかったからだ。
「公式」であることの意味
この本が特別なのは、SAP公認の翻訳書だという点だ。
ABAPはSAPという巨大なパッケージの中で動く独自言語だ。一般的なプログラミング言語のように、書籍やWeb上に情報が溢れているわけではない。当時は特に、日本語でまとまった情報を得られる場所がほとんどなかった。
そんな中で、SAPが公式に認めた内容を、体系立てて日本語で読める。この価値は計り知れなかった。基本構文から、Dynpro(画面プログラミング)、一覧や選択画面を使ったユーザーダイアログ開発、データベース更新のテクニック、そしてABAPオブジェクト(オブジェクト指向ABAP)まで——ABAP開発の幹となる部分が、1冊に収まっていた。
「とりあえずこれを読んでおけば間違いない」と言える本が存在する。それは、学ぶ側にとって大きな安心だった。
廃止構文まで載っているという凄み
個人的に、この本の凄みを感じたのは「廃止構文」の情報まで載っていたことだ。
ABAPは長い歴史を持つ言語で、古い書き方と新しい書き方が混在している。現場で既存のプログラムを保守していると、「今は使わないが、昔のコードには出てくる」構文に出くわすことが多い。
新しい書き方だけを教える入門書は多い。だが、現場で本当に困るのは「この古い書き方は何をしているのか」がわからないときだ。廃止された構文の情報まで網羅しているこの本は、入門書ではなく、現場で戦う人間のためのリファレンスだった。そこに、私はSAP公式書としての本気を感じた。
情報がなかった時代に、光を差し込んだ一冊
ここから少し、私自身がこの本を買ったときの思いを書かせてほしい。
今でこそ、ネット上にはABAPの情報が充実してきた。SAP社のホームページも、日本人にとってわかりやすく整備されてきている。だが、私がこの本を買った当時は、まるで違った。
SAPそのものの情報が、とにかく乏しかった。ネット上で質問を投げかけても、誰からも応答が返ってこない。SAPを扱っているのは一部のコアなマニアのような人たちだけ、という感覚すらあった時代だ。
そんな闇の中に、この本は光を差し込んでくれた。
分厚いIT関連書籍というのは、たいてい理解できるようになるまでに相当な時間がかかるものだ。だがこの本は違った。今読み返しても、わかりやすく、体系立っている。1,054ページという厚みが、難解さではなく、丁寧さの厚みだった。
もしこの本がなかったら——当時のABAP開発も、それなりにはできたのかもしれない。だが、品質や精度の低いプログラムが量産されていたのではないか。そう想像すると、少し怖くなる。それくらい、この本に助けられた。
COBOL育ちの私を、ABAP好きにしてくれたバイブル
私はもともと、COBOLをはじめとするホスト系言語を主軸にしてきた人間だ。
そんな私がABAPに触れて、いくつもの感動を味わった。
たとえば、内部テーブルを知ったときのこと。メモリ上でデータを自在に扱えるこの仕組みに、目を見開かされた。ホスト系の感覚で何時間もかかると思っていた処理が、ほんの数行の書き換えで、数分で終わる。そんな体験を何度もした。
その一つひとつの感動の隣に、いつもこの本があった。新しい言語の面白さを、きちんと体系立てて教えてくれた。この本は、私にABAPという言語を好きにさせてくれたバイブルだ。
今も、家の本棚に残っている。私が持っている中で、最も古いSAP関連書籍だ。
なぜ、20年後も語り継がれるのか
では、なぜこの本は20年以上経った今も語り継がれるのか。
ひとつは、後継となる決定版が、日本語ではなかなか現れなかったからだと思う。今でもAmazonで手に入る日本語のABAP書籍は、この本と『SAP ABAPプログラミング入門』くらいで、選択肢は驚くほど少ない。
裏を返せば、それだけ日本のSAP書籍市場が限られているということでもある。SAPは大企業の基幹システムを支える巨大な製品群なのに、それを日本語で深く学べる本は、数えるほどしかない。この閉塞感は、今も大きくは変わっていない。
もうひとつの理由は、内容の本質的な部分が古びていないことだ。ABAPの基本的な考え方や構文の幹は、20年経っても大きくは変わっていない。もちろんS/4HANAの時代になって新しい要素は増えたが、土台を理解するうえで、この本が示した体系は今も通用する。
これから学ぶ人へ——本との付き合い方
正直に言えば、今からこの本を2万円超で買うべきかというと、人によると思う。
これから新しくABAPを学ぶなら、まずは入門書から入り、S/4HANA時代の最新情報はSAP公式のドキュメントやオンラインリソースで補うのが現実的だ。AIに質問しながら学ぶという方法も、今では当たり前になった。
それでも、この本が日本のSAP開発者にとって持っていた意味は、記録しておく価値があると思っている。情報が乏しい時代に、「これさえあれば」と頼れる1冊があった。その重さと厚みは、当時の開発者たちの心の支えでもあった。
このブログでは今後、SAPを学ぶための書籍やリソースについても、現場の視点から少しずつ紹介していきたい。日本語の情報が少ないこの世界で、何をどう学べばよいのか——その道しるべになれたら嬉しい。
同じような現場に立つ方の、何かのヒントになれば嬉しい。記事へのご感想やご意見があれば、お問い合わせフォームからお寄せいただけると励みになる。
※書名・著者・出版社・価格等は2003年初版当時の情報をもとにしています。現在の入手可否や価格は各販売サイトでご確認ください。

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